『遊ぶということ』

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この文章は、2018年の4月に前身の熊野新しい学校から「デモクラティックスクールくまのび」、と改名し、デモクラティックスクールという言葉をはじめて表に出したときに、自分が見よう見まねで作ったホームページの中に載せていたものです。
our philosophy というタイトルつけて最初のところに大きく載せていました。

いまでもここに書いてある気持ちはまったく変わらないのですが、ちょっとトーンを下げて(笑)、個人的なものとしてこっちのスタッフブログの初投稿として、そっと再録しておきます。

『遊ぶということ』
生物進化の研究者であるPeter Gray氏は、2014年のTedスピーチで、こう述べました。『脳の大きい哺乳類ほどよく遊ぶ。それは、脳の大きい生物ほど大人になるまでに学ぶ必要のあることが多く、遊ぶことが最適の学びであることを示している。それから行けば、人間の子どもは本来もっともよく遊ぶ必要がある。』
『遊びを研究する学者たちの遊びの定義は、self-directed(自主的であること)。自主的な行動であるからこそもっともよく学ぶし、自分の人生を自分でコントロールできるという意識も育む』
Gray氏は、狩猟採集の文化の民族の子どもがずっと大人になるまで自由に遊んで学ぶことを例に挙げ、そして、遊ぶ自由をどんどん奪われていく現代の子どもたちの能力的・精神的な危機を訴えています。

1968年の創設以来、カリキュラムなし、学校での過ごし方を各こどもの自由に任せる「サドベリーバレースクール」や、同じ理念で運営される世界中のこの種の学校が、現代の社会の中でも「遊ぶ=自主的な活動」によって、十分社会の立派な成員に子どもたちが育っていくことを証明していると思います。

わたしたちの学校は、「遊ぶこと=学ぶこと」と考えて、そのためのスペースを子どもたちに提供し、求められたことだけ大人がサポートする、そんな場所をめざしています。

算数をすることも、漢字や歴史や科学について知ることも、料理をすることも、釣りをすることも、

友達とおしゃべりしたり、ごっこ遊びをしたり、ゲームをしたりすることも、大人の側が「それは遊び、これは勉強」と分けたりしなければ、子どもたちの中では境界なく「自然のこと、社会のこと、世界のこと」を、全身で自分から吸収、消化することなんだとみていると思います。

社会で生きるための知識が多岐にわたり複雑になったとして、教育現場が子どもに求める課題は増えることはあっても減ることはありません。そういう現代の教育現場からは、この学校の試みは一見逆行しているかもしれません。

私たちは、自分たちのようなやり方がすべての答えだと思っているわけではありません。

ただ、すべての人が同じ道を行く必要はないし、すべての人が同じものを身に着ける必要もないと思っています。

みんなが同じ道の中で競い合うのではなく、多様な道を歩んできた人たちが混在して、それぞれのよさを活かして補い合える社会であってほしいと願っています。

ここは、そうした願いで営む「あそびば」であり「まなびば」です。

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